2007年07月21日
韓日館泡瀬店で焼肉
2007年07月21日
パレットくもじ4階から県庁を望む
14:00〜15:20まで、那覇市歴史博物館で真栄平房敬氏のギャラリートークを聴いた。

13:30にパレットくもじに到着したので、リウボウ美術サロンで「てぃだからの輝き〜琉球ガラスてぃだ工房展〜」を観てから那覇市歴史博物館へ行った。
☆☆☆真栄平房敬氏(1920年生)によるギャラリートークメモ☆☆☆
※以下はあくまでもメモです。私の聴き間違いや聴き逃し、書き間違いがあるかも知れません。どうかご了承下さい。
特にこの日はレジュメがない上に、館内を移動して展示物を観ながらのギャラリートークだったので、メモを取るのが辛うございました。
1879年の廃藩置県後、王族の衣裳は辻[チージ]にも流れた。その中には被弁服も含まれていた。
袖口が長いのは晴着(田無orウチャナシ)。
染物は庶民が着る。上流階級は織物を着る。
小袖(ドゥスディ)。
黄色や桃色は御殿[ウドゥン]、殿内[ドゥンチ]階級の人が着る色。
帯を締めないのは仕事がしやすいから。
御殿では襟首を大きく開けて着る(芸者のような着こなし)。庶民にこのような着こなしは見られなかった。
垂れ模様は上流階級の物。
水色地に黒絣は御内原[ウーチバル]の衣裳。
縞は庶民が着用。上流階級はムルドゥンチを着用。
男物の紅型は女物よりも袖丈が短い。柄に男女の区別なしや?
袖丈が長ければ長いほど上流階級。
シルジ[白地]−薄い水色に絣。
ミヌヌオガマー。
御殿付の織工がいた(御殿お抱えの織工)。
クキ襟は表衣にはならない。この上から紺絣を着る(展示番号88、97の衣裳)。
白地に黒絣は喪服。
AAAAAAAAAA
BBBBBBBBBB
CCCCCCCCCC
DDDDDDDDDD
EEEEEEEEEE←この並びは簡単
ABCDEABCDE
EABCDEABCD
DEABCDEABC
CDEABCDEAB
BCDEABCDEA←この織るのに複雑な並びがムルドゥンチ
琉衣の格付け
1.無地の花織[ハナウイ]
2.シラガワタンス
3.紅型(型染[カタチキ]は格下)−本妻は絣、妾はカタチキ
マンワタンス−色絣
サヤワタンス
御殿へお使いに行くと、ご馳走が振る舞われた上に、ティーサージのお土産まで頂けた。
按司や王子の礼服はオーバサー[緑芭蕉]。御殿の生誕儀礼−バッタを飛ばす、蟹を這わせる。このような時にもオーバサーを着た。
袖口みみかき
正式にはクルチョウ。
シルチョウ−庶民は葬式で出棺の時に被った。御殿階級は神事や祈願の時に着た。バサーシルチョウを更に晒して白くした物がシルチョウ。
赤苧[アカウウー]−脇地頭以上の階級の夏の晴着。昭和初期にはまだ赤苧を着ている人が見られた。
ゴーヤー、ナーベーラーの初物を御殿に捧げる。このような時、紅型の風呂敷を上に掛けて持って行く。
ドゥジンの紐−固定されているのは中年用。若い人用のドゥジンは紐が取り替えられるようになっている(耳はついている。紐だけが取替可能)。
赤絣−上流階級の年寄の着物。
芭蕉のカカンは高級品。木綿のカカンは隠して干す。芭蕉のカカンは見せびらかして干す。
冬はドゥジンの代わりにマークヮー(中国服)を着る。沖縄製マークヮーは赤い。
ボタン代わりのトンボ頭を専門に作る人がいた。
唐旅(文字通りの中国旅)に行った人がいる家には、必ずといっていいほどマークヮーがあった。
御殿階級は香木で、御殿階級以外の上流階級は丁子(クローブ)で芭蕉布に香りをつけていた。
シークヮーサーで芭蕉布を洗う。シー汁に浸けて洗う。

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